榎木孝明の近況や日々感じた事柄を文章にして、毎月更新しています。
榎木孝明

2024年9月1日 過信

 人間歳を取るに従って、自分自身が鈍化してくることをなかなか認めたがらないものである。若い頃には還暦を過ぎた人を見ても、自分がその年になろうとは想像はできても実感がもてず、気づけば自分もその年をとっくに過ぎていたという次第。自分を勘定に入れずに、久々に会う同級生を「ずいぶん歳をとったな」などと思ってしまう。

 よもや、自分が熱中症にかかろうとは露程も思ってもいなかった。ニュースで熱中症と聞いてもどこか他人事のように感じていた。先日、人里離れた山の中で体力づくりを兼ねて、倒木を薪にする作業をコツコツとやっていた。日の出前の涼しい時間帯から始めた作業は、気分も乗って捗り、手を休めることもなかった。

 昼前になり、汗もだいぶかいてしまったので、さすがに少し休んだほうがいいかなと思い、日陰で一休みしようと腰を下ろした途端・・・。そこからの記憶が途切れてしまった。つまり失神である。後になって思い出したのだが、何故かその時、生と死は表裏一体であるという感覚を瞬間、覚えていたように思う。

 たまたま同行していた友人がその様子を見ていたので、すぐに駆けつけて応急処置を施してくれた。彼は高校大学と野球球児だったために、熱中症で倒れた仲間をよく介抱していたそうである。要領よく横に寝かせて、全身に水をかけてこれでもかと言うほど水を飲ませてくれた。おかげで数時間後には事なきを得たのだが、もし彼がその場にいなかったら、今この文章を書くこともなかったかもしれない。そこは人がめったに来ることのない山奥だった。

 “偶然は必然” “人は生かされている”などと思いつつ、いろいろな体験を通じて、今日もまた新たな学びをしている次第である。記憶にはないが倒れた時に打った顔面の痛さが、日ごろの過信を戒めてくれた猛暑の夏の思い出である。

榎木孝明

ページトップへ戻る